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笹川邸表門
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案内図
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水堀で囲まれた邸宅


旧味方村味方に所在する。村上藩味方組の大庄屋・笹川家の旧宅で、昭和29年に国重要文化財に指定された。笹川氏は信濃源氏が祖先で、初代当主は武田治右衛門源義勝である。川中島の合戦後、天正年間(157392)北信濃の水内郡笹川村(長野県飯山市)から当地に移住し、帰農したという。慶安2年(1649)以来、三代目の彦左衛門源信秀が大庄屋を務めた。以後、9代にわたり大庄屋を務め年貢の取り立て、治安、警察、裁判、藩の命令伝達の役目を負った。明治維新後は、大地主として治水事業を行った。正面玄関は天正期の特徴を持つ茅葺の門で住宅の周囲には土塁状の盛土、水堀が方形に巡っている。中世城館で良く方形の堀を巡らした居館の例が多くあるが、仮に笹川邸を更地にして、堀を水田にしたような場合に細長い堀を思わせる水田、方形の土地区画、土塁状の高まりが残存していた場合、中世の居館と間違いやすい。このような住宅の周囲に堀を巡らす例は中世以降もあり環濠屋敷と呼ばれ集落内では中心的な位置を占める場合がある。環濠屋敷は、信濃川流域、上越地方に多く見受けられる。中世城館調査の際は注意が必要であることを示唆するかのような今回紹介する笹川邸の例である。