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関川中学校の校門脇には忠魂碑がありその脇に、本石造物がある。
花崗岩製で、前面には「湯殿山大権現供養塔 梵字(アビラウーンケン) 一天四海 安穏風雨 □□」、背面には「寛政歳次 屠ル 沼人 □□  断食行者 天心海 世話人 □□□」とある。□は判読が難しいものである。総括して、前面に大日報身真言が彫られ、湯殿山系の修験行者によって安穏風雨とある事から、一天四海(天下あるいは全世界の四方の海の意味)、雨風の災害が平穏になることを祈願し建立したことが窺える。背面には、解読していて驚いたのが断食行者の沼の人で天心海という修行者を寛政年間に屠る(ほふる)とあることから、その頃断食行をした人が存在していた可能性がある。その頃の近隣の災害を地方紙から振り返ってみると、天明3年(1783)低温多雨で飢饉、宝暦3年(1753)、同5年、同9年に災害、飢饉が発生している。当時の災害を鎮める為に祈願目的で建立したのだろうか。詳細知る人もなく想像の範囲を出ない。
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