2014年08月

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採集周縁加工尖頭器
本遺跡は、1991年に新潟県で実施された遺跡分布調査の際、発見されたものである。これまで採集された遺物量は希薄ながら、縄文土器細片3点、旧石器時代終末期と考えられる尖頭器、剥片が採集されている。
今回、採集遺物の内旧石器時代の尖頭器について紹介する。なお縄文土器3点については、細片で詳細時期など不明である。
光兎山(966.3m)周辺を水源とする女川左岸には同河川が形成した低位高位河成河岸段丘が存在する。その段丘上に上野集落があり、その上部の段丘面は幾つかの小沢によって浸食段丘となっている。本遺跡は、その上野集落の段丘面と一段高い段丘との緩傾斜の段丘崖に立地する。関川村大字高田1819-1他に所在し、標高は約90mから95m前後、女川との比高差80m前後である。現況は畑地である。紹介する尖頭器は、頁岩製で色調は黒色を呈し、幅2.1㎝、長さ5.4㎝を測り完形である。素材は石刃で、背面の剥離面構成は、腹面と同一方向の剥離面で構成されている。素材の形状を大きく変える事なく微細な調整剥離を両面の周縁部に加え平面形態が木葉形に仕上げている。素材打点側に使用によるものと考えられる衝撃剥離面が確認できる。同様の周縁加工尖頭器の県内の類例は少なく村上市樽口遺跡B-KSU文化層、関川村大石ダム遺跡(表面採集品)、新発田市上新田B遺跡、三条市御淵上遺跡、津南町道下遺跡、小千谷市真人原遺跡、津南町貝坂桐ノ木平A遺跡、同町小丸山遺跡で類例がある。その中で放射性炭素年代が測定された遺跡は、真人原遺跡である。15000年位前で、定形石器では旧石器時代のナイフ形石器、周縁加工尖頭器をはじめ多様な尖頭器が出土している。上新田B遺跡は、周縁加工尖頭器、ナイフ形石器が出土しAs-K(浅間・草津広域火山灰)降灰期の所産と考えられている。樽口遺跡では、杉久保型ナイフ形石器文化層のB地点の文化層から周縁加工尖頭器が出土している。以上の点から紹介した石器は、概ね旧石器時代終末期の所産と考えられるが、周縁加工尖頭器が縄文草創期(13000年前~1万年前)の隆起線文土器、爪形文土器、押圧縄文土器、絡条体圧痕文土器と周縁加工尖頭器が出土した例が十日町市小丸山遺跡で類例があり、希薄な出土状況であるが、草創期の遺物が主体であることから尖頭器は縄文時代草創期の可能性もある。本遺跡の周縁加工尖頭器の類例が旧石器時代終末期に多いものの、縄文時代草創期にも周縁加工の尖頭器が確認できる一例である。また、村内に大石ダム遺跡が存在し、発掘調査は実施されていないが時期的に近いと思える周縁加工尖頭器が採集されていて、関連性も捨てきれない。
新潟県内の周縁加工尖頭器
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引用参考文献
佐藤雅一1994「小丸山遺跡 おざか清水遺跡」中里村文化財調査報告書第7輯 中里村教育委員会
佐藤雅一2006「貝坂桐ノ木平遺跡群(旧石器時代編)」津南町文化財調査報告書 第50輯 津南町教育委員会
小林弘(2004)「関川村大石ダム遺跡採集の石器について」『新潟考古』新潟県考古学会
佐藤雅一2000「道下遺跡(縄文時代編)」津南町文化財調査報告 第31輯 津南町教育委員会
2006「真人原遺跡C地点第5次調査現地説説明会資料」真人原遺跡発掘調査団
立木ほか「樽口遺跡発掘調査報告書」朝日村教育委員会
鈴木暁2004「上新田B遺跡 発掘調査報告書」新発田市教育委員会
中村孝三郎1971「御淵上遺跡」長岡市立博物館
 
 

加治川流域の山間地に滝谷集落がある。当山参道入り口には中世石仏や境内に戊辰戦争で殉職した会津藩の供養碑がある。
本尊は愛宕地蔵尊。由緒は創立年不詳。開基開山不詳。慶長11年(1606)北蒲原郡中条町(現・胎内市)の大倫寺(大輪寺)七世葉山という僧が再興した。慶長11年は江戸城本丸が完成した年にあたり、徳川家が政権基盤を確固たるものにした。当山の記述が正しいとすれば、胎内市の大輪寺が中条茂資が南禅寺の平田和尚を招き貞和2年(1346年)に開山しているので、それ以降の末寺で、中世には存続していた可能性がある。当地を支配下においた小田切氏とも年代的に符号し、何らかの関わりを否定できないと思う。
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滝谷・・大慶寺
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