越後平野の西方。日本海沿いには海岸砂丘があり、
その背後には山岳地から流れ出た河川の水が砂丘地で日本海に注ぐのを阻み
排水不良で後背湿地が広がっていたが、近世以降の治水事業によって見事な水田地帯に生まれかわった。
本遺跡群は江戸時代の新発田藩主第6代溝口直治公の享保11年(1726年)に
加治川の瀬替え事業によりできたとされ、弁天潟の西方に隣接する位置にある。
現在は「風致公園」に造成されている。以前から周知されていたが「風致公園」整備事業に伴い調査された。
遺跡の標高は2.5m~3.5m程で新砂丘Ⅰ-3が入江状になった縁辺に立地している。
蓮野Ⅰ遺跡は縄文後期中葉を主体とする。調査区よりも遺跡が広がる可能性もある。
蓮野Ⅰ遺跡の出土遺物は縄文時代後期中葉及び晩期深鉢と土製品の三角形板状土製品、
石器の石鏃・石皿、古墳時代の土師器壺、古代の土錘などが出土している。
県内で古墳時代中期の遺跡は極限られていて、六日町の余川中道遺跡、六日町の金屋遺跡、
上越市一之口遺跡、同市二反割遺跡、同市狐宮遺跡、同市大塚遺跡、胎内市六斗薪遺跡などがあり
古墳時代中期の遺跡数は少ない。
その中でも本遺跡は希少な遺跡でもあろうか。
引用参考文献
2013「弁天潟風致公園周辺整備事業に伴う発掘調査報告書」『蓮野遺跡 潟尻遺跡』 新潟県
2013「弁天潟風致公園周辺整備事業に伴う発掘調査報告書」『蓮野遺跡 潟尻遺跡』 新潟県
聖篭町教育委員会
弁天潟