遺跡近景
縄文土器
田上町民俗史料館展示品
採集ピッチ塊
旧石器の可能性がある石器
採集石器
田上町大字塚野丁に所在する。現況はやや、起伏のある丘陵上の畑地でここで旧石器時代、
縄文時代、平安時代、中世の遺物が散布している。
護摩堂山を水源とする西海持川南側の台地上に立地していて標高30m前後である。
本遺跡で、同町内で他にまだ未発見の旧石器時代の遺物が表面採集され資料紹介されている。(田中1989)
旧石器時代の資料は、ナイフ形石器2、彫刻刀形石器1、石刃2の計5点である。
紹介された石器群には被熱はじけを起こした物が含まれている。
何れも微光沢を有する頁岩を素材としている。
田中氏はナイフ形石器の検討から、全体として所謂、杉久保型に近い形状を示すが、基部に打点を残し
石刃の形状を大きく変えない。刃潰し状調整が基部、先端部の左側縁に施される。
素材の長軸と石器の長軸が一致することなど挙げ、富山県直坂Ⅰ遺跡、山形県金谷原遺跡出土の
ナイフ形石器がこれに相当するとしている。
縄文時代の遺物は、採集遺物の一部が田上町史、加茂市史上巻で紹介されている。
文献では縄文後期の遺跡として古くから知られていたようだが、
実物を見たわけでもないので後で見間違え、勘違いの可能性大であるが
紹介された拓本から大雑把検討してみると三十稲葉式、南三十稲葉式の後期前葉、三仏生式の後期中葉。
他に町史には石鏃、凹石、小形磨製石斧、土製耳飾り、アメリカ式石鏃、スクレ-パ-と記載されて紹介されている。
中世の珠洲焼擂鉢片が採集されているという。(アメリカ式石鏃?に伴うような弥生土器は採集されていないようです)
他に平安時代の須恵器杯蓋片、甕片。中世の青磁片少量が現地踏査の際確認できた。
近くの川ノ下遺跡も同じ遺跡の可能性が高く500gのピッチ塊が採集されている。
ピッチはアスファルトで、縄文時代後期後半から晩期にかけて北海道から秋田県、新潟県、山形県などで
産出した天然アスファルトを使用して石鏃などの石器や漁具、骨器などの接着や
土器の補修に用いられていた。
本遺跡周辺の丘陵地でも原油の産地で、このピッチ塊がこの周辺で産出したものとは言わないが
大量のピッチ塊はそう簡単に手に入るわけでもなく、近くで産出された可能性も捨てきれない。
引用参考文献
1989田中靖「新潟県塚野遺跡採集の石器」 『新潟考古学談話会会報』第3号 新潟考古学談話会
1994「田上町史」田上町
1975「加茂市史」上巻 加茂市
1994「田上町史」田上町
1975「加茂市史」上巻 加茂市