国道403号線沿いの羽生田地区に式内社・土生田神社があり当地が中世の城館跡にもなっている。
式内社・土生田神社は、社名と地名の一致から式内社とする根拠と考えられていているが,
明治16年(1883)の由緒書に「初メ字八幡ニ鎮座ノ処明治五年当地ニ移ス」とあり
現在地より北西200mの羽生田字八幡にあった。
祭神は埴安姫命(はにやすひめ)である。日本書記によると、伊ザ冊尊(ザ・・PCで変換できませんでした)
(いざなみのみこと)が亡くなる前に土神埴山姫と水神罔象女(みずはのめ)が生まれたとある。
良質の粘土で陶器を作る人々が祭器を作る粘土の神・埴山姫を祀り土生田神社を創建したと推定されている。
土生田神社は「神祇官諸社年貢注文」(『平安遺文』)に永万元年(1165)6月、
神祇官に真漆一斗を献上した」という記録があるという。それ以外の史料はないという。
現在の本殿は明治6年(1873)、拝殿、幣殿は昭和34年に建造された。例祭は4月15日、9月15日である。
境内は、護摩堂山城主羽生田周防守の館跡と伝え、
平安時代末期、前九年の役で源義家に敗れた阿倍の残党黒鳥兵衛が越後に入り、横暴、略奪を繰り返し
農民を苦しめた。護摩堂城主羽生田周防守は、黒鳥軍に包囲され、水源を占拠され苦戦になった。
その際、白米を滝に見せかけて水が豊富にある事を敵に誇示しようとしたが援軍も無く全員討ち死にした。
本丸跡北側から出る焼米はその時のものだという。
江戸時代に越後平野一帯に広まった黒鳥伝説に纏わるもので確実性に乏しい。
境内には築山が見られ境内の周囲には空堀が確認できる。
地方史によれば境内から須恵器片が採集されているというが、未確認。踏査の際も確認できなかった。
引用参考文献
1994「田上町史」田上町
花ヶ前盛明「越佐の神社」新潟日報事業社
1994「田上町史」田上町
花ヶ前盛明「越佐の神社」新潟日報事業社
境内の築山
境内西側の空堀