公会堂脇から河内神社の鳥居遠望
河内神社本殿
神社本殿の額
中世板碑
桐箱に収められた奉納鰐口
桐箱の蓋(表)
蓋の裏書
バラバラの鰐口をひとつにまとめたもの
文禄5年の針書銘
□□九朗右衛門尉の名前が確認できました
(坂詰1980)より)『図録 歴史考古学の基礎知識』柏書房
慶長瀬波郡絵図の写
村上市の河内集落は国道290号の村上市~関川村の途中から
百川に沿って上流に向かうと河内集落がある。
山間地で鳶ヶ沢、荒沢などの沢水が合流し百川の右岸に形成された集落である。
文禄~慶長年間の瀬波郡絵図には「色部分桃川より色部分」とあり、
中世期には小泉庄色部領であった事がわかる。
伝承では、雲上佐一郎の従臣・斎藤綱茂が追っ手から逃れて当村に来て、集落の開発を行なったという。
地元の方の話では斎藤九郎左衛門が村の創立者という。
集落の公会堂脇の道路を行くと鳥居があり、眼前を流れる百川の南側の小高い山中に河内神社がある。
神社の所在する場所は字隠家(かくれや)と呼ぶ地名で、雲上佐一郎伝説
(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/44730110.html)に出てくる神社に該当し
佐一郎の伯父の尹実卿がこの地に隠れ住んだ場所と伝え、京軍に探しだされ討ち死にした場所という。
他に字「見堂」の地名(現在水田)が神社と百川を挟んで対岸にある。
現在の境内は昭和30年代に、現在の場所から北側20~30m位北側から移動、新築されたという。
旧場所は今も平坦地になっている。創立年不詳。祭神は水波女命。
境内に神明神社(祭神 天照皇大神)、出羽神社(祭神 倉稲魂命)が祀られているが合祀され石碑が残る。
(鰐口)・・市指定文化財
集落で大事に保管管理されているもので、当神社に奉納された鰐口があり、御好意で実見する機会があった。
集落で大事に保管管理されているもので、当神社に奉納された鰐口があり、御好意で実見する機会があった。
鰐口は社寺の軒下に掛けられていて、撞座に布で編んだ紐の瘤を打ち付け音を出し、
神仏に祈願に訪れた事を知らせる為の音具である。
新潟県最古の鰐口は阿賀町高徳寺(tp://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/40190225.html)の
康永4年(北朝・1345年)南北朝時代のものがある。
紹介するものは、同一個体の鰐口片で、大小3つの破片が方形の桐箱に納められていた。
桐箱の蓋の表には「奉納 齋藤九朗左衛門」、裏面には「昭和41年3月16日」とマジックのようなもので
記載されていた。鰐口については知識不足で、小生の力では勉強不足で多くを報告できないが、
坂詰氏の分類や部位名称(坂詰1980)を参考に当てはめて報告としたい。
鰐口は、破損しているが推定の大きさは、直径15cm前後、高さ5cm前後である。
片側の耳は欠損して失われているが、片方の耳には釘と鰐口を下げる為の環が残っている。
両面の撞座とも花弁とも思われる模様がある。
撞座の周りに同心円で撞座区、内区、外区を区画する隆起線がある。
坂詰氏の分類を参考にすると、肩部の側方観は(ァ)、唇の形状は(イ)、
目はその部分から破損しているため確認が難しいが(ア)(エ)に相当か。
耳の分類はその他。
銘帯に「文禄5年丙甲9月8日(1596年・・慶長元年と同年)」「奉□□(不明)九朗右衛門尉」とあり、
寄進日、名前が針書銘が施されている。
鰐口の桐箱の名前は九朗左衛門であり一致しない。
名字の部分も欠損しているため「齋藤」と確認できなかった。
天正~慶長年間(1573~1615)頃の色部氏年中行事によれば、
「河内」の地名があり、400刈の田地を持つ3人の百姓が居て、その役として正月11日に10籠、
2月9日よりはつごもり炭、夏釜の年貢として10月まで5籠ずつ、10月のつごもりから12月大年までは10籠ずつ、
大年には400刈分の年貢分120籠の炭を上納する事が決められていた。
現在も集落には、「九朗左衛門」の屋号が残存し、集落の創立に関わった家柄と伝える家がある。
(中世板碑)
神社境内の本殿脇に庚申塔や湯殿山などと並んで中世板碑がある。
神社境内の本殿脇に庚申塔や湯殿山などと並んで中世板碑がある。
板碑は他のそう遠くではない場所から据え付け直されたものだろう。
神社が移設された際、これら石造物も移動され現在位置に移動した可能性がある。
板碑の石材は頂上部がやや三角形を呈する花崗岩で、キリ-ク一尊(阿弥陀如来)、
その下に蓮華座が認められる。蓮華座は風化が著しく確認しにくいが、
蓮台相から14世紀頃の南北朝時代のものだろう。
熊野信仰を信奉し、板碑を建立するだけの財力がある有力者の存在を、暗示しているかのようである。
引用参考文献
坂詰秀一(1980)『図録 歴史考古学の基礎知識』柏書房
1986『新潟県の地名』日本歴史地名大系15 平凡社
「新潟県史」資料編4 中世2 新潟県 P.753所収
坂詰秀一(1980)『図録 歴史考古学の基礎知識』柏書房
1986『新潟県の地名』日本歴史地名大系15 平凡社
「新潟県史」資料編4 中世2 新潟県 P.753所収