拝殿
神社参道入り口
拝殿の入口上に掲げてある額
彫りの深い立派な彫刻
説明板
旧新津市の朝日字馬場に所在する。
祭神は、建御名方命、誉田別尊である。元来諏訪神社であったが、
明治22年(1889)に朝日地区若宮の旦飯野神社を合祀し旦飯野神社とした。
拝殿には旦飯野神社と諏訪神社の併記した額が掲げてある。
明治40年朝日の稲荷神社、石動神社、十二神社を合祀した。
社殿は、文化8年(1811)に焼失。明治12年再建。明治30年(1897)改築。
境内に、神明神社、天満宮がある。
「越後国式内神社考證」には朝日の旦飯野神社を平安時代の「延喜式」の式内社としている。
論社として、阿賀野市の旦飯野神社(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/29310587.html)もある。
新津市史を参考にすると、朝日の神社周辺には、
八幡山古墳や古代の遺跡ありその分布から古くから有力者が存在し、
神社を奉祭する勢力が存在した可能性が考えられる事から本神社を式内社として有力視している。
古代において「和名抄」(930年代完成)に記載の「蒲原郡日置郷」に朝日は含まれる。
参考
現地説明板
当社は延喜式式内社で越後56座の一つである。
現地説明板
当社は延喜式式内社で越後56座の一つである。
中世には若宮八幡大菩薩とも称され古来有名な大社で地方信仰の中心となし
境内地2400坪は往古より守護不入の地として領主地頭も検地することができなかった。
境内には桜の樹多く中には高さ数十丈もあり
夕陽にはその影が東方4キロ米以上にも及んだと云われている
1本枝から臼が33個とれたという大樹もあったそうである
しかし数百年の間に戦乱火災等で衰頽し社殿も小さな祠となり
建替えの資力もなく明治22年11月5日朝日地内の諏訪神社と合併し
社名を旦飯野神社と改称した明治32年社殿改築 明治四十一年村内の稲荷神社
石動神社 下諏訪神社 十二神社を合併した昭和5年村社に列せられる
延喜式式内社とは延喜5年西暦905年後醍醐天皇の勅命により
全国より神威の高い神社を国司の上申中より選び神衹式神明帳に登録され国家より
祈念祭等に幣帛を奉呈される事が義務づけられた神社である
祭神
誉田別命 建御名方命 事代主命 倉稲魂命 石動彦命 大山袛命
所在地 新津市大字朝日535番地
例祭日 9月19日
誉田別命 建御名方命 事代主命 倉稲魂命 石動彦命 大山袛命
所在地 新津市大字朝日535番地
例祭日 9月19日
引用参考文献
花ヶ前盛明(2002)「越佐の神社」新潟日報社
新津市(1993)「新津市史」通史編 上巻