新潟県史より
(堤 2000)国内の掻器出土遺跡と点数の分布(細石刃文化期)
五頭山西麓に南北に連なる低丘陵一つに真光寺山(標高128m)がある。
丘陵の東面には真光寺ビレッジがあり、近在に温泉もあり自然がいっぱいある事から、
休日には「別荘でのんびりと過ごそう・・・」と、考えている人もいるだろう。
今は多くの別荘が立ち並んでいる。
現在、遺跡は宅地開発で壊滅したが、
宅地化が進む前、昔すすき原だった緩斜面から1点の小剥片を発見し、
そこが遺跡の可能性を確認した事があった。
新潟県教育委員会発行の「水原郷」に本遺跡から採集の旧石器が紹介されている。
他に「新潟県史」にも写真で紹介されている。
恐らく昔、在野の考古学者によって採集されたものだろう。
石器は阿賀野市の農業資料館に展示されているが、
石器は阿賀野市の農業資料館に展示されているが、
頁岩製の肉厚の石刃を素材とする掻器(エンドスクレ-パ-)で、
直接手に取って観察できないが末端に急角度の刃部を形成しているようである。
石器は1点で、他に遺物があったかどうかわからないが、
あるとすれば散逸してしまったかもしれない。
遺跡近くの村杉には、新潟県の学史に最初に旧石器時代の東山系の小坂型彫器、石刃核が紹介された
薬師平A遺跡がある。同じ東山系の石器が採集されている。
藤森栄一氏によって「特異な石器」として紹介された石器で、大木金平氏によって採集されたものである。
それは、岩宿遺跡が発見される以前に、すでに旧石器に注目した学者がいたことになる。
本遺跡の石器は1点資料で断言はできないが、
恐らく東山系の石器群の範疇に収まるものだろうか?
掻器は最近まで皮なめしとして、毛皮やなめし皮を衣服の素材として
用いる民族に使用例が認められている。
エスキモ-や、ロシアなど高緯度の地方で使用されている。
北海道や東北には古墳時代や8世紀代の遺跡から掻器がみつかる例がある。
寒冷な気候の場所では皮革は極めて重要な素材で、衣服から簡易テント、
ひもや武具まで必要不可欠な素材で、樹皮を素材とする繊維製品に比べ手に入りやすい。
その半面、気温や、湿度に敏感で高温多湿には腐る短所がある。
サハリン地方では生皮を剥ぐナイフ、生皮から毛を除去するナイフ、
皮の内側の生肉を除去する先端が丸い刃先のスクレ-パ-、
皮なめし用の刃先の鈍いスクレ-パ-、両側に長い柄の中央に媒剤を擦り込む為の
刃部を持つ擦り込み器があり、工程ごとに道具を替えるという報告例が紹介されている。
旧石器時代は氷期であり、本遺跡をはじめ新潟県北部には多くの掻器が出土している。
皮革を中心とする素材が使用されていたのだろうか。
引用参考文献
昭和58年「新潟県史」資料編1 原始 古代 新潟県教育委員会
堤隆 2000「第12回長野県旧石器文化交流会研究発表会発表資料」
昭和58年「新潟県史」資料編1 原始 古代 新潟県教育委員会
堤隆 2000「第12回長野県旧石器文化交流会研究発表会発表資料」