本遺跡は、旧岩船潟を中心に広がる低地に向かって北東から南西に延びる、
標高40m前後の丘陵上に立地する。
日本海沿岸東北自動車道の村上.Cの工事に先立ち、事前調査により発見されたものである。
調査の結果、弥生時代後期を中心とする遺跡で、
日本海側最北端の「高地性環濠集落」である事が明らかになった。
遺跡の重要性から工法変更で保存されることになったため、
試掘調査のみで本調査は行われない事になった。
遺跡は谷を隔てて3か所の平坦面に分かれていて、北側からA、B、C地点と呼称する。
A地点は、墓域で土抗墓が検出され、多量のガラス玉(完形品68個)が出土した。
死者の副葬品の可能性が指摘されている。
ガラス玉の数としては、県内最多である。単独の墓から出土した数としては東日本有数である。
B地点の弥生土器は、縄目が多用された「東北系」のものが多く、
他に北陸北東部系、北海道の続縄文土器がわずかにみられる。
この遺跡は、遺物の内容から東北系土器文化圏の遺跡と考えられている。
石器類では環状石斧が出土し、新潟市秋葉区古津八幡山遺跡での出土例がこれ
までの最北端であったが、今回の発見で本遺跡の環状石斧が最北端の出土例になった。
本遺跡の発見により、阿賀野川以北の北部で、東北系土器文化圏で初めて確認された
高地性集落で注目される。当時の緊張状態を反映した遺跡と考えられる。
引用参考文献
平成20年度「出土品展が語る新潟の歴史」資料
標高40m前後の丘陵上に立地する。
日本海沿岸東北自動車道の村上.Cの工事に先立ち、事前調査により発見されたものである。
調査の結果、弥生時代後期を中心とする遺跡で、
日本海側最北端の「高地性環濠集落」である事が明らかになった。
遺跡の重要性から工法変更で保存されることになったため、
試掘調査のみで本調査は行われない事になった。
遺跡は谷を隔てて3か所の平坦面に分かれていて、北側からA、B、C地点と呼称する。
A地点は、墓域で土抗墓が検出され、多量のガラス玉(完形品68個)が出土した。
死者の副葬品の可能性が指摘されている。
ガラス玉の数としては、県内最多である。単独の墓から出土した数としては東日本有数である。
B地点の弥生土器は、縄目が多用された「東北系」のものが多く、
他に北陸北東部系、北海道の続縄文土器がわずかにみられる。
この遺跡は、遺物の内容から東北系土器文化圏の遺跡と考えられている。
石器類では環状石斧が出土し、新潟市秋葉区古津八幡山遺跡での出土例がこれ
までの最北端であったが、今回の発見で本遺跡の環状石斧が最北端の出土例になった。
本遺跡の発見により、阿賀野川以北の北部で、東北系土器文化圏で初めて確認された
高地性集落で注目される。当時の緊張状態を反映した遺跡と考えられる。
引用参考文献
平成20年度「出土品展が語る新潟の歴史」資料