今から4年位前だったか?記憶は定かではないが、
秋頃に日本海に面したJR間島駅近くの能化山(標高380m)に、
知り合いと山遊びで出かけた。
連日の快晴でその日も例外なく快晴。
山が好きで、自家用車でいつも出かけるが
「たまには、電車で行ってみるのも面白いのでは、・・」
「どうせ行くなら1時間位の登りの楽な山に行って、
のんびり山頂からの景色を堪能してみるのもいいな」
と考え電車に揺られてながら出かけた。
間島駅から歩いて、能化山登山口から、ゆっくり1時間程度。
山頂からは、広大な日本海と海岸線が見えて気持ちがいい。
まだ、早く山頂に着きすぎて、昼食にはまだ早いが山頂で楽しく
すごす事ができた。
昼食を終えて、下山の準備だけすませて、
立ち上がるとき下を見たら近くに素焼きで灰色の陶器片を発見。
「なんだろ」と思い泥を取ると珠洲焼の片口鉢底部~体部片で、
摺り目は見られない。
もう1人の人が「おっ、ここにも」というと
同じような陶器片。
どうやら、先ほどの片割れらしい。
破片2つが1つに接合できる事が判明した。
内部表面は、摩滅痕が無く、
外部表面全体に底部、体部に赤い樹脂状(理化学分析によって
判断したわけではなく肉眼観察からなので断言できないが、漆か?)
の付着物が後から分かった。
われ口には樹脂状のものは見られない。
前に、珠洲焼で、修理の為に破断面に漆を塗り接合した例を
見た事があるが、今回はそのようなものではない。
また、内部では無く外面、
それも体部の他に底部に樹脂状のものが付着している点は
内部に漆のようなものを入れたものとは異なる。
底部を上にして使用したものなのだろうか?
謎が謎を呼ぶ。
土器の年代は鎌倉時代末のものと思われる。
近くには中世の珠洲焼を出土する遺跡は見当たらないが
能化山から西側に派生する尾根の末端付近に間島城跡(未調査)があり、
関係は無いだろうか。
宗教遺跡の可能性も考えたが、
それに伴う遺物が何回かこの場所を踏査したが
他に遺物は確認できず、結論から言えば、
「なんじゃこりゃ?」ということだろうか。
なぜ、こんな場所に土器落ちていたのか、
いまだによくわからないでいる。
間島集落には曹洞宗仲雲寺があり、
境内の中に、昔山頂にあったという不動明王像の石仏が
安置されているが、年号は刻まれていないので断言できないが
作風から近世のものだろうか。
また、山名も能化(のうけ)あるいは「のっけさん」と呼び
事典で調べてみれば仏教用語で「師として人を教え導く者。
衆生を教化する仏、菩薩などをいう」とあり、
いつの頃からか分からないが山岳宗教的の象徴的な、
山のような気もする。
山麓には「十二」の付く地名が多く山の神や十二神信仰と関係あるの
かな?
何か分かったら報告する事としたい。
引用参考文献
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋頃に日本海に面したJR間島駅近くの能化山(標高380m)に、
知り合いと山遊びで出かけた。
連日の快晴でその日も例外なく快晴。
山が好きで、自家用車でいつも出かけるが
「たまには、電車で行ってみるのも面白いのでは、・・」
「どうせ行くなら1時間位の登りの楽な山に行って、
のんびり山頂からの景色を堪能してみるのもいいな」
と考え電車に揺られてながら出かけた。
間島駅から歩いて、能化山登山口から、ゆっくり1時間程度。
山頂からは、広大な日本海と海岸線が見えて気持ちがいい。
まだ、早く山頂に着きすぎて、昼食にはまだ早いが山頂で楽しく
すごす事ができた。
昼食を終えて、下山の準備だけすませて、
立ち上がるとき下を見たら近くに素焼きで灰色の陶器片を発見。
「なんだろ」と思い泥を取ると珠洲焼の片口鉢底部~体部片で、
摺り目は見られない。
もう1人の人が「おっ、ここにも」というと
同じような陶器片。
どうやら、先ほどの片割れらしい。
破片2つが1つに接合できる事が判明した。
内部表面は、摩滅痕が無く、
外部表面全体に底部、体部に赤い樹脂状(理化学分析によって
判断したわけではなく肉眼観察からなので断言できないが、漆か?)
の付着物が後から分かった。
われ口には樹脂状のものは見られない。
前に、珠洲焼で、修理の為に破断面に漆を塗り接合した例を
見た事があるが、今回はそのようなものではない。
また、内部では無く外面、
それも体部の他に底部に樹脂状のものが付着している点は
内部に漆のようなものを入れたものとは異なる。
底部を上にして使用したものなのだろうか?
謎が謎を呼ぶ。
土器の年代は鎌倉時代末のものと思われる。
近くには中世の珠洲焼を出土する遺跡は見当たらないが
能化山から西側に派生する尾根の末端付近に間島城跡(未調査)があり、
関係は無いだろうか。
宗教遺跡の可能性も考えたが、
それに伴う遺物が何回かこの場所を踏査したが
他に遺物は確認できず、結論から言えば、
「なんじゃこりゃ?」ということだろうか。
なぜ、こんな場所に土器落ちていたのか、
いまだによくわからないでいる。
間島集落には曹洞宗仲雲寺があり、
境内の中に、昔山頂にあったという不動明王像の石仏が
安置されているが、年号は刻まれていないので断言できないが
作風から近世のものだろうか。
また、山名も能化(のうけ)あるいは「のっけさん」と呼び
事典で調べてみれば仏教用語で「師として人を教え導く者。
衆生を教化する仏、菩薩などをいう」とあり、
いつの頃からか分からないが山岳宗教的の象徴的な、
山のような気もする。
山麓には「十二」の付く地名が多く山の神や十二神信仰と関係あるの
かな?
何か分かったら報告する事としたい。
引用参考文献
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』