本城跡は、ニ王子岳から東方に派生する尾根先端にあり、中世には加地庄の庄域に含まれていた。
五斗蒔集落の東奥にあたる。現在城跡へは城跡の南側に林道があり、
遮断機から少し行くと作業道の分岐でそこから入山する。
城跡の近くに送電線用鉄塔があり、そこまで作業道があるので、少しの藪漕ぎで城跡附近に到達できる。
最高所は標高300mで小枯谷を挟んでコの字状に無数の大小の郭群があり、北、西、の尾根上に
堀切がある。通路遺構と思えるものが谷の郭群を周回して付けられている。
西側に下った部分にも郭群が見られる。恐らく、コ字状に付けられた郭群は枯沢の谷からの
侵入に対しての防備であろうか。細かい、郭群の普請の特徴、縦堀や横堀が
見られない事から縦堀や横堀が盛行する永禄~天文期以前の普請ようにも思える。
城跡に関連する文献も無く、城主、城歴不明であり詳細不明である。
五斗蒔城から尾根続きで東方へ800mの標高420m附近に大南俣城跡、更に430m位北に下った附近にも
大南俣城跡の東尾根に城跡遺構があり、3城跡が連携、一体化した城跡群と見る事も可能であろうか。
写真上から
(城跡遠望)(登山口の様子・・・左の鉄塔用作業道を行きます)(空堀)(本丸附近)(位置)(縄張り図)
引用参考文献
水沢幸一(2006)『越後加地庄の城館』「新潟考古」第17号
五斗蒔集落の東奥にあたる。現在城跡へは城跡の南側に林道があり、
遮断機から少し行くと作業道の分岐でそこから入山する。
城跡の近くに送電線用鉄塔があり、そこまで作業道があるので、少しの藪漕ぎで城跡附近に到達できる。
最高所は標高300mで小枯谷を挟んでコの字状に無数の大小の郭群があり、北、西、の尾根上に
堀切がある。通路遺構と思えるものが谷の郭群を周回して付けられている。
西側に下った部分にも郭群が見られる。恐らく、コ字状に付けられた郭群は枯沢の谷からの
侵入に対しての防備であろうか。細かい、郭群の普請の特徴、縦堀や横堀が
見られない事から縦堀や横堀が盛行する永禄~天文期以前の普請ようにも思える。
城跡に関連する文献も無く、城主、城歴不明であり詳細不明である。
五斗蒔城から尾根続きで東方へ800mの標高420m附近に大南俣城跡、更に430m位北に下った附近にも
大南俣城跡の東尾根に城跡遺構があり、3城跡が連携、一体化した城跡群と見る事も可能であろうか。
写真上から
(城跡遠望)(登山口の様子・・・左の鉄塔用作業道を行きます)(空堀)(本丸附近)(位置)(縄張り図)
引用参考文献
水沢幸一(2006)『越後加地庄の城館』「新潟考古」第17号