阿賀野川右岸の近接して高森集落があり集落の外れの水田の中に中世出湯系阿弥陀如来石仏2基がある。
すぐ脇にご来歴を刻んだ石碑(昭和54年有志により建立)と、
殆ど文字が削られて文字の判読ができない長方形の石造物があり僅かに「梅」か他、
と判読が難しい文字が確認できる。
現地の石碑によれば瑠璃光寺跡とあり、周辺を踏査したが当時の遺物と思われるものは、
石仏の他に確認できなかった。周辺には森下集落に
森下遺跡の中世備蓄銭出土地(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/35698120.html)、
下前川原遺跡があり中世遺跡が阿賀野川右岸に並ぶ。
石碑の銘文より
「この地一本杉の地蔵様と称し文安5年(1448)永称庵寺寿覚開創の瑠璃光寺跡なりして現存す
茲に安置し奉る地蔵尊は大正末期まで阿賀野川の渡船場の道路に面し往来の人々等しく
現前の地蔵尊に礼拝し道中安全と延命息災を祈願し香華絶えることなしと伝えきく
時代の変遷で渡舟場は閉鎖となる昔日の面影を後世に継承しいさ
さか報恩の餘香を法孫に記し建碑す」
すぐ脇にご来歴を刻んだ石碑(昭和54年有志により建立)と、
殆ど文字が削られて文字の判読ができない長方形の石造物があり僅かに「梅」か他、
と判読が難しい文字が確認できる。
現地の石碑によれば瑠璃光寺跡とあり、周辺を踏査したが当時の遺物と思われるものは、
石仏の他に確認できなかった。周辺には森下集落に
森下遺跡の中世備蓄銭出土地(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/35698120.html)、
下前川原遺跡があり中世遺跡が阿賀野川右岸に並ぶ。
石碑の銘文より
「この地一本杉の地蔵様と称し文安5年(1448)永称庵寺寿覚開創の瑠璃光寺跡なりして現存す
茲に安置し奉る地蔵尊は大正末期まで阿賀野川の渡船場の道路に面し往来の人々等しく
現前の地蔵尊に礼拝し道中安全と延命息災を祈願し香華絶えることなしと伝えきく
時代の変遷で渡舟場は閉鎖となる昔日の面影を後世に継承しいさ
さか報恩の餘香を法孫に記し建碑す」